中学1年生の男子生徒が体育用マットの中で亡くなってから、今年で33年が経ちます。山形県新庄市で起きたこの事件は、少年審判と民事裁判で異なる結論が出るという異例の展開をたどり、遺族は今なお賠償金の支払いを求めて裁判を続けています。
この記事では、事件の概要から裁判の経緯、そして賠償金が支払われずにいる理由や課題まで、わかりやすく整理してお伝えします。

事件の概要|体育館用具室で何が起きたのか
1993年1月13日、新庄市立明倫中学校(当時)の1年生だった児玉有平さん(当時13歳)が、体育館の用具室に丸めて立てかけられていたマットの中で、頭を下にした状態で死亡しているのが見つかりました。有平さんはこの日、部活動のために体育館を訪れ、上級生らから芸を強要される場面があったとされ、その後、複数の生徒から暴行を受けてマットに押し込まれたとみられています。
警察は関与が疑われた生徒7人を傷害や監禁致死の容疑で逮捕・補導しました。しかし少年審判では判断が二転三転し、最終的に3人が「不処分」、3人が「保護処分」、1人が児童福祉司による行政処分となりました。刑事手続き上は、関与を明確に認定された生徒と、そうでない生徒に分かれる結果となったのです。
裁判の経緯|少年審判と民事裁判で正反対の結論に
事件の全容解明を求めて、遺族は1995年、当時の生徒7人を相手取り損害賠償を求める民事訴訟を起こしました。ところが1審の山形地方裁判所は、捜査段階での自白の信用性を否定し、遺族側の訴えを退けています。
流れが変わったのは2004年の2審、仙台高等裁判所の判決でした。高裁は一転して7人全員の事件への関与を認め、約5760万円の支払いを命じる判決を出したのです。この判断は2005年に最高裁判所でも支持され、賠償命令が確定しました。少年審判では「無実」とされた生徒がいる一方で、民事裁判では全員の関与が認定されるという、異例の食い違いを残す結果となりました。

なぜ賠償金は支払われないのか
判決が確定したにもかかわらず、元生徒たちは任意の支払いに応じませんでした。遺族側は財産の差し押さえによる回収を試みましたが、勤務先が判明していた人については給与の差し押さえができた一方、勤務先や財産が分からない人については差し押さえの手段がなく、回収が進みませんでした。
さらに大きな壁となっているのが「時効」の問題です。民法では、確定判決による損害賠償請求権も10年で時効を迎えるとされています。遺族はこれを防ぐため、時効が迫るたびに元生徒を相手取った再提訴を繰り返してきました。2016年には2度目の提訴で支払いを命じる判決が出ましたが、それでも支払いには応じてもらえず、今回、3度目の提訴に至っています。
元生徒側は現在も、遺族側が主張するような行為はしていないとして無実を訴え、争う姿勢を崩していません。捜査段階では一時、関与を認める供述をしていたものの、その後は誘導によるものだったとして否認に転じており、この主張は現在の訴訟でも維持されています。
今後の焦点と課題
今回の訴訟の判決は2026年7月15日に山形地方裁判所で言い渡される予定です。争点となっているのは、確定判決による賠償請求権をあらためて認めるかどうかであり、元生徒側は無実を前提とした主張を続ける構えです。
この事件が浮き彫りにしているのは、判決が確定しても加害者側に支払う意思がなければ、遺族が金銭的にも精神的にも長年にわたって負担を強いられ続けるという制度上の課題です。差し押さえの手続きには相手の勤務先や財産の把握が不可欠ですが、それが難しい場合、遺族は時効を防ぐためだけに何度も訴訟を起こさざるを得ません。有平さんの父・昭平さんは、体力の衰えを感じながらも「有平のために戦い続ける」と話しており、事件から33年が経った今も、家族の心の傷は癒えていません。
まとめ
山形マット死事件は、少年審判と民事裁判で結論が分かれた稀有な事件であると同時に、賠償金の支払いをめぐる制度の課題を突きつけている事件でもあります。確定判決が出ても支払いに応じない相手に対し、遺族が時効という壁と向き合いながら訴訟を重ねなければならない現実は、被害者遺族の負担軽減という観点からも、今後議論されるべきテーマといえるでしょう。7月15日に言い渡される判決の内容にも、引き続き注目が集まります。

