ネット中傷を含む不法行為について、慰謝料の算定方法や投稿の差し止めなどが議論される見込みです。
SNSや掲示板などインターネット上で誹謗中傷を受け、投稿者を特定して損害賠償を求めるケースが増える一方、裁判で認められる慰謝料が数十万円程度にとどまることも多く、「被害の大きさに比べて賠償額が低いのではないか」と指摘されてきました。
こうした状況を受け、法務省は精神的損害に対する賠償のあり方などを検討する有識者研究会を設置します。精神的損害の賠償をめぐり、法務省が新たな見直しに乗り出します。
法務省が精神的損害の賠償見直しを検討
今回の研究会は「不法行為法制のあり方」をテーマとし、民法学者、弁護士、裁判官など10人で構成されます。
法務省は、これまでの裁判例を分析したうえで、損害賠償額を判断する際の考慮要素などを明文化できるか検討します。その後、必要に応じて法制審議会への諮問や民法改正につなげる考えです。
ただし、研究会で「ネット中傷なら慰謝料○万円」といった一律の金額を決めることが予定されているわけではありません。
現在も裁判所は、投稿内容や拡散状況、投稿回数、被害者が受けた影響などを個別に考慮して慰謝料を判断しています。今回の検討では、こうした判断材料をより明確にすることが大きなポイントになります。
ネット中傷の慰謝料は平均47万円、中央値は30万円
法務省は2026年4月、インターネット上の名誉権や名誉感情の侵害について、過去の裁判例を調査した報告書を公表しました。
対象となったネット上の事案は118件で、認められた慰謝料は平均47万円、中央値30万円でした。30万円未満のケースは118件中46.6%を占めています。一方で、最高額は349万円となっており、すべてのネット中傷事件が数十万円で決着するわけではありません。
法務省自身も、この調査は特定の民間裁判例データベースから抽出したものであり、全国の同種事件すべてを反映した統計ではないと注意しています。そのため、「ネット中傷の慰謝料は平均47万円だから、実際の裁判も必ずこの程度」と考えるのは適切ではありません。
重要なのは、裁判所が同じ金額を機械的に認めているのではなく、個々の被害状況に応じて金額を判断しているという点です。
投稿回数や拡散範囲が慰謝料に影響
ネット中傷では、単に「悪口を書かれた」という事実だけではなく、どのような内容が、どれだけの範囲に、どの程度繰り返し発信されたのかが重要になります。
法務省の調査でも、投稿回数が多い事案では慰謝料が高くなる傾向が確認されています。例えば、投稿1回の事案では慰謝料の平均が30.7万円だったのに対し、10回以上49回以下の事案では78.3万円でした。
また、投稿内容によって社会的評価が大きく低下した場合や、不特定多数が閲覧できる状態だった場合、継続的に投稿された場合なども、慰謝料を判断する際の事情となります。
今回の見直しでは、こうした要素をどのように評価するのかを、より明確にすることが検討されます。
日本では慰謝料の具体的な計算式が民法にない
日本の民法709条は、故意または過失によって他人の権利や法律上保護される利益を侵害した場合、損害を賠償する責任を負うと定めています。さらに710条では、名誉を侵害した場合など、財産以外の損害についても賠償責任があると規定されています。
一方で、「名誉毀損なら○万円」「SNSで1万人に拡散されたら○万円」といった具体的な計算式は民法に定められていません。
そのため、裁判では過去の裁判例などを参考にしながら、個別の事情を踏まえて慰謝料が決められています。
日本と海外ではネット中傷の賠償制度が異なる
海外と日本を単純に「どちらの慰謝料が高い」と比較することはできません。名誉毀損をめぐる法律や表現の自由とのバランス、損害賠償の考え方が国によって異なるためです。
例えばイギリスでは、2013年名誉毀損法により、名誉毀損が成立するためには原則として「重大な損害(serious harm)」が必要とされています。また、裁判所には、問題となった声明の削除や配布停止などを命じる権限も設けられています。
アメリカでは、名誉毀損について州ごとにルールが異なるうえ、憲法修正第1条による表現の自由が大きく関係します。特に公職者や公的人物については、1964年の連邦最高裁判決以降、一定の場合に「実際の悪意(actual malice)」の立証が必要とされるなど、表現の自由を強く考慮する仕組みがあります。
法務省もアメリカ、イギリス、ドイツ、フランスなどの海外制度について調査研究を進めています。今回の日本の制度見直しでは、単純に海外の賠償額を導入するのではなく、損害の評価方法や差し止めなどを含め、外国の制度からどのような仕組みを参考にできるかも重要になります。
精神的損害の賠償はどう変わるのか
今回の検討で注目されるのは、慰謝料の「金額そのもの」だけではありません。
ネット中傷では、投稿が一度削除されてもスクリーンショットなどによって再拡散されることがあります。また、匿名の投稿者を特定するために発信者情報開示の手続きを行い、その後に損害賠償を請求するというケースもあります。
そのため、被害者が実際に受けた精神的苦痛だけでなく、投稿の拡散範囲や継続性、被害回復までに必要となる負担などをどのように評価するのかが今後の論点になります。
法務省は今回の研究会で直ちに具体的な慰謝料額を決定するわけではありません。今後の議論を通じて、どのような事情を損害賠償の判断に反映させるべきなのかが検討されます。
ネット上の表現をめぐっては、被害者の権利救済だけでなく、正当な批判や意見まで萎縮させないことも重要です。
精神的損害に対する賠償をどのように評価するのか。今回の法務省の検討は、SNS時代に合わせて日本の不法行為法制そのものを見直す議論につながる可能性があります。

