兵庫県神戸市で起きた赤ちゃん遺棄事件をめぐり、慈恵病院の蓮田健院長が「逮捕は理不尽だ」と警察対応を批判したことで、この事件の対応の是非について、医療・福祉の現場を中心に注目が集まっています。
この事件は、単なる「死体遺棄事件」として処理してよいものなのでしょうか。それとも、日本社会が長年抱えてきた孤立出産と周産期医療の課題が、改めて浮き彫りになった事案なのでしょうか。

事件の経緯
今回の赤ちゃん遺棄事件は、兵庫県神戸市に住む20代の女性が、出産後に慈恵病院へ相談したことをきっかけに明らかになりました。
報道によると、女性は2026年1月下旬、自宅で突発的に出産したとされています。出産は医療機関ではなく、自宅の浴室で行われました。女性は突然強い腹痛に襲われ、救急車を呼ぼうと考えたものの、その前に出産に至ってしまったと説明しています。
生まれた赤ちゃんは泣くことも動くこともなく、女性はすでに息をしていなかった可能性が高いと感じていたといいます。予期せぬ自宅出産と死産という状況に直面し、女性は強い不安と混乱の中で、どう対応すればよいのか分からない状態に陥っていたとみられます。
出産の翌日、女性は熊本市にある慈恵病院に「助けてください」という件名のメールを送りました。メールには、誰にも頼ることができない状況であることや、警察に相談すれば逮捕されてしまうのではないかという恐怖が綴られていました。
相談を受けた慈恵病院の蓮田健院長は、女性と直接連絡を取り、当時の状況を確認しました。院長は警察への相談を勧めましたが、女性が強い恐怖を示していたことから、慈恵病院側が熊本県警を通じて、事件を管轄する兵庫県警へ情報提供を行いました。
その後、兵庫県警は捜査を進め、女性が自宅のクローゼットに赤ちゃんの遺体を置いていたとして、死体遺棄の疑いで逮捕しました。逮捕は情報提供の翌日に行われ、警察は「法と証拠に基づいた正当な判断」と説明しています。
一方で、蓮田院長は、情報提供者である自身への事情聴取が行われないまま逮捕に至ったことについて、「対応は杜撰と言わざるを得ない」「本来は保護が優先されるべきだった」として、警察に意見書を提出しました。

慈恵病院の蓮田健院長とは
蓮田健院長は、熊本市にある慈恵病院の院長で、「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」を運営してきた人物として知られています。慈恵病院は、育てられない事情を抱えた親から赤ちゃんを匿名で預かる赤ちゃんポストや、身元を公にせず出産できる「内密出産」の取り組みを行ってきました。
これらの活動は、孤立した妊婦や母親が、医療や社会から完全に切り離されてしまうことを防ぐためのものです。蓮田院長は長年、孤立出産や赤ちゃん遺棄の背景にある社会的要因と向き合い、現場で支援を続けてきました。
突発的な自宅出産と、誰にも頼れない現実
様々な理由や事情により、周産期医療を十分に受けられないまま出産に至ってしまうケースは、決して少なくありません。経済的な困窮、家庭内の事情、パートナーとの関係、社会的孤立、予期せぬ体調変化など、背景は人それぞれです。
今回の事件で逮捕された女性も、計画的に医療を拒否していたわけではなく、突発的に自宅での出産を余儀なくされたとみられています。頼れる家族や知人もおらず、出産そのものが想定外の出来事だった可能性が高い状況でした。
死産という現実がもたらす心理的ショック
さらに深刻なのは、赤ちゃんが生まれた時点で、すでに息をしていなかった可能性がある点です。
出産という極度の緊張状態の中で、死産という現実に直面した場合、人は冷静な判断を保つことが極めて難しくなります。
強いショックや恐怖、自己否定、罪悪感に包まれ、現実を直視できなくなることは、心理学的にも珍しい反応ではありません。亡くなった赤ちゃんを「視界に入れられなかった」「どう扱えばよいのか分からなかった」という状態に陥ったとしても、それは人として異常な反応とは言い切れないでしょう。
「助けてください」と送られたSOS
事件が発覚したきっかけは、女性が出産翌日に慈恵病院へ送った「助けてください」というメールでした。
そこには、誰にも相談できず、警察に連絡すれば逮捕されるのではないかという強い恐怖がにじんでいました。
この行動は、逃避ではなく助けを求める意思表示だったと見ることもできます。実際、慈恵病院側は女性の不安に配慮しつつ、警察に情報提供を行っています。
慈恵病院が主張する「逮捕は理不尽」
会見で蓮田院長は、「警察に相談することは、必ずしも逮捕を意味するものではない」と強調しました。
慈恵病院は、赤ちゃんポスト(こうのとりのゆりかご)や内密出産を通じて、孤立した妊婦や母親を支援する立場にあります。
その院長が、情報提供者への事情聴取もないまま逮捕に踏み切った警察対応を「杜撰」と表現したことは、単なる感情論ではなく、長年現場を見てきた医療者としての危機感の表れといえるでしょう。
兵庫県警の「正当な判断」と、その限界
一方、兵庫県警は「法と証拠に基づいた正当な判断」と説明しています。確かに、刑法上は死体遺棄という構成要件が存在し、捜査権限があることは事実です。
しかし、法的に可能であることと、社会的に妥当であることは必ずしも一致しません。
今回のケースでは、逃亡や証拠隠滅の恐れがあったのか、在宅捜査や任意聴取では対応できなかったのか、慎重な検証が求められます。
逮捕より先に必要だった「保護」
最も重要なのは、この女性が支援を必要とする当事者だったという点です。
孤立出産、死産、精神的ショックという複合的な要因を抱えた状態で、まず必要だったのは刑事責任の追及ではなく、医療的・心理的・福祉的な保護だったのではないでしょうか。
「助けを求めたら逮捕される」という印象が広がれば、同じような状況に置かれた女性たちは、ますます声を上げられなくなります。それは結果として、悲劇の再発リスクを高めることにつながります。
この事件が社会に投げかける問い
今回の赤ちゃん遺棄事件は、個人の問題として終わらせるべきではありません。
周産期医療へのアクセス、孤立出産を防ぐ仕組み、警察と医療・福祉の連携、そして「罰」と「支援」の境界線を、社会全体で再考する必要があります。
同じ悲劇を繰り返さないために求められているのは、逮捕の是非を超えた、人を孤立させない社会の設計ではないでしょうか。

