「心中」は「子殺しを覆い隠す」 子ども家庭庁が呼称見直しへ

「心中」は「子殺しを覆い隠す」 子ども家庭庁が呼称見直しへ 時事・ニュース
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2026年9月10日、こども家庭庁の専門委員会は、親が子どもを手にかけたうえで自らも命を絶つ事案について、長年使われてきた「心中」という呼び方を見直すと発表しました。新しい呼称は「保護者の自殺を伴うこどもの虐待死」です。

約20年間使われ続けてきた用語が、なぜ変わることになったのか。「心中」という言葉そのものの成り立ちや、海外での表現方法とあわせて整理します。

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「心中」という言葉、もともとの意味は

心中は「しんじゅう」と読み、本来は相思相愛の男女が、この世で結ばれない事情を抱えながらも、愛情の証として一緒に命を絶つことを指す言葉でした。

語源をたどると、江戸時代初期、吉原の遊女たちが「あなた以外に浮気をしません」という誠意を示すために、起請文を書いたり相手の名前を彫り物にしたりする行為そのものを「心中立て」と呼んでいたことに由来するとされます。もとは「心の内を示す」誠意の表現だった言葉が、やがて命がけの愛の証として、共に死ぬこと自体を指すようになりました。

元禄期には近松門左衛門の世話物浄瑠璃によって情死を描いた作品が評判となり、社会現象にまでなったといわれます。もともとは吉原の遊女が愛情の誠実さを示す行為を指していた「心中」という言葉が、『曾根崎心中』の大ヒットをきっかけに「男女が一緒に死ぬこと」という意味で社会に定着した、という流れになります。

あまりに影響が大きかったため、幕府は心中事件を扱った浄瑠璃や歌舞伎の上演を禁止したり、心中未遂者への処罰を厳しくしたりする対応をとったほどです。また、この時期に「心中」を「相対死(あいたいじに)」と言い換えさせる動きもありました。

合意のない相手を道連れにする場合は「無理心中」と呼び分けられてきましたが、いずれにしても「心中」という言葉には、当事者どうしの合意や相手への愛情という響きが色濃く含まれています。

Wikipedia「曽根崎心中」「心中」

なぜ児童虐待の統計に「心中」が使われてきたのか

こども家庭庁の専門委員会は、自治体から報告された児童虐待による死亡事例を2003年から毎年検証しています。親が子どもを殺害したうえで自らも命を絶とうとする事案は、これまで「心中による虐待死」として分類されてきました。

専門委によると、検証を始めた2003年度分から、2026年9月10日発表の2024年度分までの累計で、少なくとも679人の子どもが、自殺を図る保護者によって命を奪われています

「子殺しの現実を覆い隠す」という批判

問題視されてきたのは、「心中」という言葉が本来持つ相愛・合意というイメージが、子どもを巻き込んだ死亡事案の実態とかけ離れている点です。

親自身も追い詰められた事情を抱えて亡くなるケースが多いことから、社会の側に「これは児童虐待だ」という認識が薄く、「親の愛情ゆえの行為」として美化されてしまうことすらあると識者は指摘してきました。しかし子どもの立場から見れば、それは紛れもなく命を奪われた虐待です。「心中」という美しく響く言葉が、子殺しという行為そのものを覆い隠してしまう――この指摘こそが、今回の見直しの出発点になっています。

専門委は昨年の報告書ですでに、「こどもは保護者の所有物ではなく、権利の主体である」という認識を社会が持つ必要性に触れ、用語見直しを検討課題としていました。そして2026年9月10日に公表された第22次報告で、呼称が正式に変更されました。今後、心中による虐待死は「保護者の自殺を伴うこどもの虐待死」、それ以外の虐待死は「こどもの虐待死」と呼ばれます。こども家庭庁自体も、この用語の見直しを進める方針です。

韓国でも呼称変更の動き

親が子どもを道連れに自殺を図る行為を表す言葉が問題視されているのは、日本だけではありません。お隣の韓国でも、長年使われてきた呼び方を変えようとする動きが続いています。

韓国では、こうした事件は長らく「同伴自殺」と呼ばれてきました。2014年、ソウル市内で母子3人が犠牲になった無理心中事件が社会の関心を集めたことをきっかけに、国際NGO「セーブ・ザ・チルドレン・コリア(SCK)」は「同伴自殺という言葉を使わないでほしい」と声明を出しました。過去の報道を調べたところ、親が未成年の子どもを手にかけたうえで自殺した事件の多くが、この「同伴自殺」という言葉で伝えられていたといいます。

SCK内部では、この言葉によって「親が子どもの生死を左右してよい」という誤った認識が社会に広まりかねないという懸念があり、声明では「明らかな殺人」だという踏み込んだ表現も用いられました。当時、政策提言チームを率いていた姜美廷(カン・ミジョン)さんは、子どもは親の所有物ではなく、親が子どもの生死を決めることは許されないと訴えています。

もっとも、声明を発表した当初の社会の反応は芳しいものではなかったようです。「親には他に選択肢がなかった」という同情の声や、「言葉ひとつの問題にすぎない」という冷ややかな反応も少なくなかったといいます。それでもSCKは、貧困や障害などどんな事情があっても親が子どもの命を奪う権利はないこと、死を望んでいた子どもはほとんどいないことを、報道機関などに粘り強く伝え続けました。

日本の「心中」も、韓国の「同伴自殺」も、当事者どうしの合意や共感を思わせる響きを持つ点は共通しています。子どもの視点から実態を伝え直そうとする取り組みが、両国でほぼ同じ問題意識のもとに進められてきたのは興味深いところです。

「心中」という言葉が隠す、命落とす子どもの声 韓国では呼び名変更:朝日新聞
親が自殺を図る際に子どもを殺す行為を、日本では「心中」と呼ぶことが多い。近松門左衛門作の人形浄瑠璃「曽根崎心中」に代表されるような相愛の男女が合意して自殺する、という意味もある「心中」という言葉を使…

まとめ

「心中」という言葉には、本来、相愛の男女が誓いとして共に死を選ぶという、江戸時代由来の情緒的な意味がありました。しかし、この言葉を子どもが巻き込まれる虐待死にそのまま当てはめてきたことで、子どもの視点や、命を奪われたという事実が見えにくくなっていたのも事実です。

こども家庭庁の専門委員会による今回の用語変更は、「こどもは保護者の所有物ではなく、権利の主体である」という考え方を社会に広めるための、小さくとも重要な一歩といえそうです。言葉ひとつで、私たちがその出来事をどう受け止めるかは大きく変わります。今後、報道や行政の文書でこの新しい呼称がどこまで定着していくのか、注目されます。

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