2025年10月上旬、人気イラストレーター・江口寿史氏が、商業イラストの制作過程で「Instagramに流れてきた横顔の写真」を本人の許可なく参考にしたと自ら認めたことが発端です。これをきっかけに、SNS上では過去の作品にも「元ネタ探し」が加速。「模写か?」「トレースか?」「参考の範囲か?」という議論が一気に沸騰しました。
広告ビジュアルを制作していたルミネ荻窪は10月3日、「制作過程に問題があった可能性がある」として該当ビジュアルの一時撤去を発表。続いて、江口氏とコラボしていたメガネブランドZoffやファミリーレストラン・デニーズも「確認作業に入った」と公式に表明しました。
企業側の反応が極めて早かったことは、今回の炎上が単なる個人の批判ではなく、「コンプライアンス問題」「商用利用のリスク」として捉えられたことを示しています。

「参考・模写・トレース」の境界線
今回の騒動で最も多くの人が戸惑っているのは、「どこまでが許容される“参考”で、どこからがNGな“トレース”なのか」という点です。
イラスト制作において、写真や他の作品を参考にすること自体は珍しくありません。多くのプロ・アマ問わず「ポーズ集」「人物写真」「街並み素材」などを利用するのは日常的であり、むしろ効率的な表現のために推奨されることすらあります。
しかし今回問題視されているのは、以下のポイントです。
- 本人の承諾なく、他人のSNS写真をそのまま使用している
- ラフスケッチと比較すると、輪郭・髪型・アクセサリーなど形状が極めて一致していると指摘されている
- 商用の広告ビジュアルで使用されている(販売促進目的)
- 元の人物が「勝手に使われた」と感じた場合、肖像権・パブリシティ権の問題になる
つまり、「どれだけ似ているか」よりも、「許可を得ていない状態で営利目的に使ったかどうか」が大きな争点なのです。
江口寿史氏のトレパク問題の経緯
①(9月下旬):ルミネ荻窪の「中央線文化祭」用ビジュアルが公開
ルミネ荻窪で開催予定のイベント「中央線文化祭2025」の告知ビジュアル(江口寿史氏が描き下ろしたイラスト)が館内掲出・公開されていました(公開日は報道で9月26日などの記述あり)。
②(10月3日):江口氏が自身のSNSで「参考にしたInstagram写真を事前承諾なく使った」旨を投稿
江口氏はX(旧Twitter)で「中央線文化祭のイラストは、インスタに流れてきた完璧に綺麗な横顔を元に描いた」と説明。該当の写真の投稿者(報道では金井球さんと報じられている)から連絡があり、その後やり取りで承諾を得たとして再度公開したと投稿しています。
③(10月3日):ルミネ荻窪が告知ビジュアルを一時撤去
主催側(ルミネ荻窪)は「制作過程に問題があったと判断し、必要な確認が完了するまで該当ビジュアルを一時的に撤去する」と公式に発表しました。
④(10月4日〜):SNSで過去作品にも「元ネタ探し」が広がる → 企業が調査要請・声明を発表
SNS上で過去作とされるイラストと、ネット上の写真(一般投稿や雑誌写真、芸能人写真)を比較する投稿が多数拡散。これを受け、江口氏と取引のあった企業が相次いで「事実関係の確認」を発表しました。代表的なものがメガネチェーンのZoffとレストランチェーンのデニーズです。
トレパク問題が指摘・確認/調査対象になっている主な案件
ルミネ荻窪(中央線文化祭2025) — 告知ビジュアル(メインポスター)
発端となった案件。江口氏の告知イラストが、Instagramに投稿されていた女性の横顔を参考にしたとして問題化。主催のルミネ荻窪は該当ビジュアルを一時撤去し、主催側の確認を行っています。江口氏は事後にモデルの方と連絡を取り、承諾を得たと説明しています。
Zoff(メガネチェーン) — 過去のキャンペーンイラスト(2018年などに実施した“描き下ろし”キャンペーン)
Zoffは公式に「江口寿史氏とのキャンペーン企画で使用されたイラストについて、事実関係を精査している」と発表しています。該当は過去の店頭キャンペーンで使用された“描き下ろし”イラストと報じられています。
デニーズ(デニーズジャパン) — メニューブックや店内ポスター等に使われている江口氏デザインのイラスト
デニーズは公式リリースで「当社で使用している江口氏デザインのイラストについて、制作過程を現在確認中。事実関係が確認でき次第、適切に対応する」と発表しています。報道では、メニューやポスターに用いられているイラストについて類似指摘が出ているとされています。
(SNS上で指摘が拡大している過去作品群)
SNS上では、江口氏の過去の画集や広告・コラボ作品の中に「写真が元ネタではないか」と指摘されるものが多数出ています(例:雑誌カバーやコラボ広告と“酷似”とされる比較画像の拡散)。中には有名人(報道では新木優子さんなど)の写真との類似を指摘する投稿もありますが、これらはSNS上の指摘=調査・確定済み事実ではなく、現在は「指摘→企業・当事者が確認中」という段階です。必ずしも全件が事実と認定されたわけではありません。
「トレパク」とは何か、前例について
「トレパク」とは
「トレパク」とは、「トレース(写し描き)して、パクる(盗む)」の略称です。他者の作品(イラストや写真など)を上からなぞって描き、それを自分の作品として公開したり販売したりする行為を指します。
絵の練習としてトレースや模写をすること自体は問題ありませんが、それをあたかも自分が一から描いたかのように偽り、特に商業的に利用したり、不特定多数に公開したりする場合は、「トレパク」として批判の対象となり、著作権や肖像権の侵害に当たる可能性があります。
トレパク問題の前例
江口氏の件以外にも、トレパクや盗作の疑惑で問題になったケースは過去にもあります。
- イラストトレース疑惑ツイート名誉毀損事件
トレパクを指摘するツイートの発信者情報開示を巡る裁判で、知財高裁は開示を認めない判決を出しました。一方で、この裁判の反訴では、トレースによって営業活動上の利益が侵害されたとして、損害賠償を求めた事例もあります。 - 古塔つみ氏のケース
有名なイラストレーターである古塔つみ氏が、既存の写真をトレースした絵を販売していたことが問題視され、作品集の出荷停止やコラボTシャツの販売停止にまで至りました。 - 裁判例
著作権侵害を巡って裁判になった事例も存在します。 - 親子パンダや猫のイラスト事件
パンダや猫のイラストの著作権者が、類似したイラストを無断で商品に使用されたとして訴訟を起こした事例です。裁判所は、オリジナルのイラストと表現上の本質的な特徴が同一であると判断し、著作権侵害を認め、損害賠償を命じています。

過去にもあった「トレパク」炎上 古塔つみ氏のケースとの違い
2022年には、イラストレーター・古塔つみ氏がCDジャケットなどの商業イラストにおいて、海外写真や一般ユーザーの投稿写真をもとにしていたと指摘され、炎上しました。このときは「トレースではなく模写」とする擁護もあった一方で、「商用利用なら事前許諾を取るべき」「元の写真に帰属表示がないのはおかしい」といった声が相次ぎました。
今回の江口氏の件との違いは、「本人が自ら“インスタ画像を参考にした”と認めたこと」と、「企業が即座に対応を発表したこと」です。これは、過去の炎上を経て企業側の危機管理意識が大きく変わったことを意味しています。
広告・出版の世界では、いまや「著名アーティストだから大丈夫」という時代ではありません。むしろ「有名人を起用した案件ほど炎上したときのリスクが大きい」ため、企業は慎重にならざるを得なくなっています。
江口寿史氏はおしゃれ系イラストのレジェンド
江口寿史(えぐち・ひさし)さんは、日本の漫画家・イラストレーターです。1956年生まれ。1977年に『週刊少年ジャンプ』でデビューし、代表作に以下のような作品があります。
- 『ストップ!! ひばりくん!』(1980年代) — 性別をテーマにしたギャグ漫画で大ヒット
- 『ひのまる劇場』 — シュールなギャグで人気
- 『ビックリハウス』などでのイラスト連載
その後は漫画よりもポップでスタイリッシュな女性イラストで高い評価を受け、広告・CDジャケット・ファッションブランド・雑誌表紙など、幅広い分野で活躍してきました。
特に、「美少女イラストの第一人者」「線の美しさ・カラーのセンスが突出している」「現代の“オシャレなイラスト”のスタイルを築いた人物」と称されており、多くの若手イラストレーターに強い影響を与えています。
今回のトレパク疑惑がここまで注目されているのも、「影響力の大きさ」と「業界の象徴的存在」だからこそ、と言えます。
いま求められているのは「技術力」ではなく「透明性」
江口寿史氏は日本の漫画・イラスト文化を語る上で欠かせないレジェンド的存在です。だからこそ今回の炎上はショッキングな出来事として受け止められていますが、同時に「どんなに実力があっても、倫理が見直される時代になった」という象徴的な事例でもあります。
これからのイラストレーターは、絵が上手いだけでは評価されません。
- 参考資料をどう扱うか
- 商業案件にどう責任を持つか
- ファンやモデルになった人とどう向き合うか
「透明性」こそが最大の信頼になる時代なのだと、今回の件は私たちに教えてくれています。