2026年5月、大西洋を航行中のクルーズ船で「ハンタウイルス」による集団感染が疑われるというニュースが世界を駆け巡りました。そしてその船に日本人乗客が1人乗船していることが明らかになり、国内でも不安の声が広がっています。
厚生労働省は5月6日、公式SNSで「国内で感染拡大するリスクは低い」と説明し、冷静な対応を呼びかけました。しかし「ハンタウイルス」という名前を初めて耳にした方も多いのではないでしょうか。
この記事では、今回の出来事の経緯を整理しながら、ハンタウイルスとはどのようなウイルスなのか、なぜ日本国内への感染拡大リスクが低いとされるのか、そして新型コロナウイルスとの違いについて、できるだけわかりやすく解説していきます。
今回の経緯:クルーズ船「MVホンディウス」で何が起きたのか
南大西洋を航行中に集団感染が発覚
今回問題となっているのは、クルーズ船「MVホンディウス」です。この船はアルゼンチン南端の港町ウシュアイアを出港し、南大西洋を航行していました。乗客・乗員は合わせて約150人。ところが航行中に複数の乗客が発熱などの症状を訴え始め、検査の結果「ハンタウイルス」への感染が疑われる事態となりました。
オランダ人夫婦とドイツ人1人の計3人が死亡するという深刻な状況となりました。WHO(世界保健機関)の発表によると、5月6日現在、8例が報告されており、そのうち3例が検査でハンタウイルスと確認されています。
船は現在、カーボベルデ沖に停泊しており、乗客・乗員の上陸は許可されていません。
日本人乗客1人が乗船していることが判明
運航会社の発表により、乗客の中に日本人が1人含まれていることが明らかになりました。この日本人乗客については、現時点では感染が疑われる症状は確認されていないとのことです。
外務省は「邦人保護の観点から、すべきことがあれば対応する。厚生労働省・内閣官房の感染症の部局とも連携して対応する」と表明しており、政府として状況を注視しています。
WHO「最初の患者は乗船前に感染していた可能性がある」
WHOの感染症対策・予防局によると、感染が疑われる7人はいずれもアルゼンチンで乗船しており、「最初の患者は乗船前に感染していた可能性がある」との見方を示しています。
ハンタウイルスの潜伏期間は1〜6週間とされており、これらの乗客が南米での滞在中にウイルスに触れ、発症が船内での航行中になったと考えられています。
そもそも「ハンタウイルス」とはどんなウイルスか
ネズミなどのげっ歯類が感染源
ハンタウイルスは、ネズミをはじめとするげっ歯類が保有するウイルスです。感染した動物の排泄物(糞・尿)が乾燥して空気中に漂った粒子を人が吸い込んだり、傷口や粘膜が排泄物に触れたりすることで感染します。
日本でも1960〜70年代に発生の報告がありましたが、現在は日本国内にハンタウイルスを保有するげっ歯類は事実上存在しないとされています。
2種類の病型がある
ハンタウイルス感染症には主に2つの病型があります。
- 腎症候性出血熱(HFRS):アジアや欧州で多く見られ、発熱・血小板減少・腎臓の障害・出血傾向などを引き起こします。
- ハンタウイルス肺症候群(HPS):南北アメリカで問題となる病型で、発熱・筋肉痛・頭痛で始まり、数日後に咳、息切れ、肺水腫へと急速に進行することがあります。致死率が高く、重症化しやすいことで知られています。
今回の事例は南米・アルゼンチン発であることから、後者の「ハンタウイルス肺症候群」に関連するウイルス(アンデスウイルスの可能性も指摘されています)が疑われています。
確立された治療法・ワクチンがない
現時点では、ハンタウイルスに対する確立された治療薬やワクチンは存在しません。治療は症状に応じた支持療法が中心となります。だからこそ、感染しないための予防が非常に重要なウイルスです。
実は日本でも過去に流行していた
①「梅田奇病」と呼ばれた都市型流行(1960年代)
1960年代、大阪・梅田駅近くの住宅密集地区で原因不明の発熱患者が相次ぎ、119例が確認されそのうち2名が死亡しました。当時は病因が特定されておらず「梅田奇病」とも呼ばれていましたが、後にドブネズミを感染源とするハンタウイルス感染症(腎症候性出血熱)と判明しています。1970年代に同地区の再開発が進んだことで流行は終息しました。
②実験用ラットを介した集団感染(1970〜1984年)
1970年代から1980年代にかけて、大学や研究機関で実験動物として購入したラットがハンタウイルスに汚染されていたことが原因で、全国21〜22機関・約126〜127例の感染者が発生しました。1981年にはラット飼育者が死亡するという痛ましい事例も起きています。実験施設の衛生管理の改善と、実験動物販売業者によるウイルスの事前チェック体制が整備されたことで、その後の発生は防がれています。
現在の状況:1998年以降、国内での患者発生はゼロ
その後も散発的な発生が続きましたが、1998年12月の感染症法施行以降、国内での患者発生は確認されていません(2025年3月31日現在)。現在は日本国内にハンタウイルスを保有するげっ歯類は事実上存在しないとされています。
なぜ「日本国内での感染拡大リスクは低い」のか
厚生労働省が「冷静な対応を」と呼びかけた背景には、ハンタウイルスの特性に基づいた根拠があります。主な理由を整理してみましょう。
理由①:日本にはウイルスを保有するネズミがいない
最も重要な点は、「媒介動物の有無」です。ハンタウイルスはあくまでも、ウイルスを保有するげっ歯類(特定のネズミの種)を通じて人に感染します。現在、日本国内にはハンタウイルスを保有するげっ歯類が事実上存在しないため、国内で新たに感染が広がる「元」がありません。
もちろん日本にも港湾地区のネズミ(ドブネズミ)がウイルスを保有している可能性はゼロではありませんが、それによる患者発生の報告は長年にわたって出ていません。
理由②:ヒトからヒトへの感染が起きにくい
新型コロナウイルスが爆発的に広まった最大の理由は、感染した人から別の人へと次々に伝播するという特性にありました。一方、ハンタウイルスはヒトの体内で効率的に増殖しにくく、排泄されにくいため、感染した人が周囲に伝播するケースは極めてまれです。
ヒトはウイルスにとって「感染が次につながりにくい行き止まりの宿主」と表現されることもあります。今回のクルーズ船で問題となっているアンデスウイルスについては、濃厚接触によるヒトヒト感染が示唆されていますが、それでも持続的な感染連鎖は起きにくいとされています。
理由③:感染者は現地で管理されている
船内では乗客が客室内にとどまり、他の乗客と距離を保つよう指示されているほか、現地で適切な健康管理が行われています。万一、帰国後に体調不良が出た場合も、発熱や症状の申告を通じた対応が可能です。
コロナウイルスとはどこが違うのか
「またウイルスか」と感じた方も多いかもしれません。しかし、ハンタウイルスと新型コロナウイルスの間には、感染拡大という観点で決定的な違いがあります。
| 比較項目 | ハンタウイルス | 新型コロナウイルス |
|---|---|---|
| 感染源 | ネズミなどのげっ歯類 | 主にヒト(感染者) |
| 主な感染経路 | げっ歯類の排泄物の吸入など | 飛沫・エアロゾル・接触 |
| ヒトヒト感染 | 極めてまれ(一部例外あり) | 非常に起こりやすい |
| 感染拡大のしやすさ | 低い | 非常に高い |
| ワクチン・治療薬 | なし | あり |
新型コロナウイルスは「感染した人の咳・会話・呼吸」だけで広がるため、人が密集する場所で爆発的に伝播しました。一方、ハンタウイルスは基本的に「ウイルスを保有したネズミとの接触」がなければ感染しないため、日常生活を送る私たちが感染する機会はほとんどありません。
「重篤な疾患を引き起こす危険なウイルスである」という点は共通していますが、感染が広がる仕組みはまったく異なります。この違いを理解することが、冷静な判断につながります。
まとめ:正しく知って、冷静に
今回のクルーズ船での集団感染は、確かに深刻な事態です。3人の方がお亡くなりになっており、今なお150人近くが船内にとどまっているという状況は、胸が痛くなります。日本人乗客の方の無事と、一日も早い帰宅を願うばかりです。
しかし同時に、ハンタウイルスが「日本国内で広がるウイルス」かというと、現時点でその可能性は低いと考えられています。理由は明確です。媒介するネズミが日本にいないこと、そしてヒトからヒトへの感染が基本的に起きにくいというウイルスの特性があるからです。
感染症の報道に触れるたびに不安を感じるのは自然なことです。ただ、大切なのは「正しい情報をもとに冷静に判断すること」。厚生労働省も呼びかけているように、最新の公式情報をしっかりと確認しながら、落ち着いて対応していきましょう。

