2026年1月21日、れいわ新選組代表の山本太郎氏(51)が、自身の公式YouTubeチャンネルを通じて健康状態を公表し、参議院議員を辞職すると発表しました。山本氏はその中で、「多発性骨髄腫の一歩手前にいる」と説明し、今後は治療と静養を優先する判断を下したと明らかにしています。
この発表は政界に大きな衝撃を与えると同時に、「多発性骨髄腫とはどのような病気なのか」「なぜ辞職という決断に至ったのか」といった点に、多くの関心が集まりました。本記事では、発表の経緯や病気の基礎知識に加え、山本太郎氏のこれまでの経歴と政治的歩み、そして今回の辞職が持つ意味について、整理して解説します。
山本太郎氏の発表と辞職の経緯
山本太郎氏は、人間ドックをきっかけに精密検査を受けた結果、血液の癌である「多発性骨髄腫」の一歩手前の状態であると判明したことを公表しました。現時点では、進行を食い止めるための行動が不可欠であり、このまま激務を続ければ命を失いかねないとして、議員辞職と無期限の活動休止を決断しました。
辞職の理由については、「衆院選のためではなく、自分の命を守るため」と強調。政治活動による過度なストレスが原因であるとの認識を示しています。なお、党代表の職には留まるものの、実務の大部分は共同代表の大石あきこ氏とくしぶち万里氏に委任し、自身は最小限の意思決定に専念する意向です。

多発性骨髄腫とはどのような病気か
多発性骨髄腫は、血液のがんの一種で、骨髄に存在する形質細胞ががん化することで発症します。形質細胞は本来、体を守る抗体を作る役割を担っていますが、がん化すると正常に働かない異常なたんぱく質(Mたんぱく)を大量に作り出し、体にさまざまな影響を及ぼします。
主な特徴としては、貧血、腎機能障害、免疫力の低下、骨の痛みなどが挙げられますが、初期段階では自覚症状がほとんどないケースも少なくありません。そのため、健康診断や別の検査で偶然発見されることもあります。
「一歩手前」とされる状態とは
山本氏が用いた「一歩手前」という表現は、一般にくすぶり型多発性骨髄腫や、その前段階に近い状態を指すと考えられます。これは、異常な形質細胞やMたんぱくが確認されるものの、臓器障害や明確な症状が現れていない段階です。
この段階では、すぐに治療を開始するのではなく、定期的な検査を行いながら経過を観察するケースが多いとされています。ただし、一定の割合で本格的な多発性骨髄腫へ進行する可能性があるため、医師の管理下で慎重な対応が求められます。
治療の進歩と現在の見通し
多発性骨髄腫は、かつては「治療が難しい病気」とされてきましたが、近年は分子標的薬や免疫療法など新しい治療法が次々と登場しています。その結果、病気をコントロールしながら、仕事や日常生活を続ける患者も増えているのが現状です。
症状が出ている場合でも、治療と社会生活を両立している例は少なくなく、医療の進歩によって長期的な見通しは改善しています。
山本太郎氏の経歴と政治家としての歩み
ここで、山本太郎氏のこれまでの経歴を振り返ります。
山本氏は1974年生まれ。若い頃から俳優として活動し、テレビドラマや映画で幅広く活躍しました。社会的に広く知られる存在となった後、2011年の東日本大震災と原発事故をきっかけに、社会問題への発言を強めていきます。
2013年、参議院選挙に無所属で立候補し初当選。国会では、原発問題、貧困、障害者政策、社会保障などをテーマに、従来の政治とは異なる強い言葉と行動力で注目を集めました。
2019年にはれいわ新選組を立ち上げ、重度障害者の国会議員擁立など、これまでにない政治手法を打ち出します。以降も「当事者の声を国会に届ける」ことを重視し、支持と同時に賛否両論を呼びながらも、独自の存在感を示してきました。
今回の辞職は、そうした政治活動の最前線から一時的に身を引く決断であり、支持者にとっても大きな転機となっています。
山本太郎氏の原点
「元気が出るテレビ」で注目された若き日の姿
山本太郎氏の名前が全国的に知られるようになったきっかけは、1990年代に放送されていた日本テレビ系のバラエティ番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』への出演でした。
山本氏は番組内の人気企画「ダンス甲子園」に「メロリンキュー」として出演し、キレのあるストリートダンスと強い個性で注目を集めました。当時は、ダンスがまだサブカルチャー的な扱いだった時代であり、若者文化を象徴する存在として、多くの視聴者に強い印象を残しました。
この「ダンス甲子園」出身者の中には、のちに俳優・ダンサー・タレントとして活躍する人物も多く、山本太郎氏もその一人です。体を張った表現力と、既存の枠に収まらない姿勢は、この頃から一貫していたと言えるでしょう。

俳優・山本太郎としてのキャリア
バラエティ番組出演をきっかけに、山本太郎氏は俳優としての道を本格化させます。1990年代後半から2000年代にかけて、映画・ドラマに多数出演し、強烈な個性派俳優として評価を高めていきました。
代表的な映画作品
特に広く知られているのが、2000年公開の映画『バトル・ロワイアル』です。
この作品で山本氏は、極限状況の中で生き抜こうとする生徒の一人を演じ、荒々しさと人間臭さを併せ持つ演技が強い印象を残しました。作品自体が社会現象となったこともあり、山本太郎という俳優の名前が一気に浸透する転機となった作品です。
そのほか、社会性の強い作品や人間の葛藤を描く映画に多く出演し、メッセージ性のある役を引き受ける俳優として位置づけられていきました。
テレビドラマでの活動
テレビドラマにおいても、山本氏は多数の作品に出演しています。2004年にはNHK大河ドラマ『新選組!』に原田左之助役で出演。
青春ドラマから社会派ドラマまで幅広いジャンルで起用され、感情をむき出しにする役柄や、アウトサイダー的な人物像を演じることが多かったのが特徴です。
この時期の経験について、山本氏自身が後年、「役を通して社会の矛盾や弱い立場に置かれる人の存在を考えるようになった」と語っており、俳優時代の経験が、その後の政治活動に影響を与えたことがうかがえます。

芸能界から政治の世界へ
2011年の東日本大震災と原発事故をきっかけに、山本太郎氏は社会問題への発言を強めていきます。当初は俳優としての立場からの発信でしたが、次第に「表現するだけでは限界がある」と感じるようになり、政治の世界へと踏み出しました。
2013年、参議院選挙に無所属で立候補し初当選。
その後、れいわ新選組を結成し、重度障害者議員の擁立や、当事者目線を前面に出した国会活動で注目を集めます。
元バラエティ出演者、元俳優という異色の経歴は、時に批判の対象にもなりましたが、同時に「既存政治への違和感」を代弁する存在として、多くの支持を集めてきました。
政界・世論の反応
山本氏の発表を受け、他党の幹部や政治関係者からは驚きの声とともに、回復を願うコメントが相次ぎました。支持者の間でも、突然の辞職を惜しむ声と、まずは健康を最優先してほしいという声が広がっています。
政治的な評価とは別に、一人の人間としての健康問題として受け止める姿勢が目立っている点は、今回の発表の特徴とも言えるでしょう。

まとめ
山本太郎氏が公表した「多発性骨髄腫の一歩手前」という状況は、政治家としてのキャリアだけでなく、病気そのものへの理解を深めるきっかけともなりました。多発性骨髄腫は初期には気づきにくい病気である一方、医療の進歩によって向き合い方は大きく変わっています。
今回の辞職は、政治的な判断というよりも、健康を守るための現実的な選択といえるでしょう。今後、山本氏がどのように治療と向き合い、どのような形で政治と関わっていくのか、引き続き注目が集まりそうです。

