近年、SNSの普及とともに急速に広まっている「キャンセルカルチャー(Cancel Culture)」という言葉をご存じでしょうか。
これは、ある個人や企業、団体の発言や行動が「不適切だ」と批判を受けた際に、その人物や組織を社会的に排除しようとする動きを指します。
もともとは人権や倫理への意識を高める運動として注目されましたが、現在では「過剰な糾弾」や「言論の萎縮」を招くという副作用も指摘されています。
2025年には、宝塚歌劇団がショーで使用していた楽曲「海ゆかば」のソロ歌唱を取りやめたことが話題となりました。SNS上の批判を受けての対応とみられ、「芸術表現の自由」と「社会的配慮」の狭間で揺れる姿勢に賛否が分かれています。
本記事では、キャンセルカルチャーとは何か、その背景や具体的な事例、そしてSNS時代における課題と今後の向き合い方について、わかりやすく整理していきます。
キャンセルカルチャーとは
「キャンセルカルチャー」とは、著名人や企業などが“社会的に問題がある”とされる発言・行動をしたときに、SNSなどを通じて不買運動・出演取りやめ・契約解除などの「社会的制裁」を受ける現象を指します。
もともと「cancel(取り消す)」という言葉の通り、「その人をもう支持しない」「作品を見ない」「企業の製品を買わない」といった行動を集団的に行う文化のことです。
この動きは、アメリカを中心に2010年代後半から急速に広がりました。#MeToo運動やBLM(ブラック・ライブズ・マター)などの社会運動を背景に、「差別的発言を許さない」「権力者の不正を追及する」という“正義”の意識と結びついて拡大しました。
しかし近年では、正当な批判を超えて「異なる意見の排除」にまで発展しているという指摘もあり、社会的議論を呼んでいます。
キャンセルカルチャーの代表的な事例
● J.K.ローリングの“トランスジェンダー発言”問題
『ハリー・ポッター』シリーズの著者であるJ.K.ローリング氏は、2020年ごろからSNS上でトランスジェンダーに関する発言をめぐり大きな批判を受けました。
彼女は、「性別は生物学的なものであり、ジェンダーを自由に選ぶという考え方には懐疑的」と投稿。
これが「トランス差別だ」との反発を招き、SNS上では「#CancelJKRowling(ローリングをキャンセルせよ)」というハッシュタグが拡散しました。
結果として、映画版『ハリー・ポッター』に出演した俳優たちが相次いでローリング氏と距離を置く発言をし、出版社やイベントからも一時的に“排除”される動きが見られました。
このケースは、思想や意見の違いが、作家としての評価や作品そのものへの不買運動につながるという、キャンセルカルチャーの象徴的事例です。
● 宝塚歌劇団「海ゆかば」ソロ歌唱中止
2025年9月、宝塚歌劇団は宙組の公演で使用していた楽曲「海ゆかば」のソロ歌唱を取りやめました。
この歌は奈良時代の歌人・大伴家持の詩をもとに作曲された曲ですが、戦時中に国策として使用された経緯があり、SNS上で「戦争を連想させる」「ショーの内容にそぐわない」といった批判が拡散しました。
劇団は「さまざまなご意見を頂いた」として、公演途中で楽曲の歌唱を中止、東京公演では別曲に差し替える方針を発表。
この迅速な対応に対し、「批判に過剰反応した」「芸術表現の自由が失われている」といった反発の声も上がりました。
この事例は、SNS上の意見が企業や団体の判断に直接影響することを示す典型的な「キャンセルカルチャー型の反応」といえます。
● その他の主な事例
- Netflixの『ザ・クラウン』で描かれた英国王室の表現が「不敬」とされ、一部視聴者が契約をキャンセル
- 日本では芸人やタレントの過去の発言・行動が再発掘され、CM契約や出演番組を打ち切られるケースも増加
- ファッションブランドが「文化の盗用」と批判され、デザインを撤回
このように、芸術・エンタメ・企業活動など、あらゆる分野で「過去・思想・発言」への監視が強まっています。
キャンセルカルチャーとSNSの関係
キャンセルカルチャーが急速に拡大した背景には、SNSの拡散力と同調圧力があります。
Twitter(現X)、Instagram、TikTokなどでは、数秒で世界中に情報が広がります。
「炎上」や「トレンド入り」によって、短期間で世論が形成され、企業や著名人が対応を迫られます。
SNSでは以下のような構造が働きます。
- 発言や行動が切り取られる
→ 文脈を離れた短い動画や引用が拡散される。 - “正義”の言説が共感を集める
→ 多くの人が「それは許されない」と同調する。 - 企業・団体が迅速に対応を迫られる
→ 契約解除・公演中止・謝罪文発表などに発展。
特に日本では「炎上=企業リスク」という認識が強く、宝塚のように「イメージ悪化を避けるための予防的中止」が起こりやすいといわれています。
キャンセルカルチャーの問題点と課題
キャンセルカルチャーは「声を上げることができる時代の象徴」である一方で、次のような問題点が指摘されています。
- 誤情報や切り抜き拡散による誤解
- 一方的な糾弾で反論や説明の余地がない
- “異論を許さない”空気が社会を分断する
- 表現の自由・創作の自由の萎縮
SNSでは「いいね」や「リポスト」で瞬時に多数派が形成されるため、理性的な議論よりも感情的な反応が優先されやすい構造にあります。
【抗議】仕掛け花火がギネス認定、写真と展示したら「写真家の宣伝」とクレーム→市が撤去https://t.co/zAYkF0wOZI
— ライブドアニュース (@livedoornews) October 19, 2025
1人の市民からクレームがあり、千葉・市川市が撤去。「不快と感じた人がいた以上、写真は差し替えるべきだと判断した」と説明したが、写真家は「納得がいかない」と反発している。 pic.twitter.com/reU05xe9Z1
キャンセルカルチャーへの対策・向き合い方
1. 情報を鵜呑みにせず、文脈を確認する
発言や映像が切り取られて拡散されることが多いため、一次情報(発言の全文・公式声明)を確認する習慣が大切です。
2. 批判と排除を区別する
「問題提起」と「個人攻撃」を混同しないこと。
不適切な発言への指摘は必要ですが、“排除”や“人格否定”にまで発展しないよう冷静な視点を持つことが重要です。
3. 組織側は説明責任を果たす
企業や団体は「なぜその表現を選んだのか」「批判を受けてどう考えたのか」を明確に説明することで、信頼を維持できます。
宝塚歌劇団のように対応を変える際には、理由と意図を公開し、観客との対話を重視する姿勢が求められます。
4. SNS上の“声”を多面的に評価する
SNSの声は社会の一部に過ぎません。投稿者の立場や目的を考慮し、冷静なリスク分析と価値判断を行うことが望まれます。
まとめ
キャンセルカルチャーは、SNS時代に生まれた“新しい世論の力”であり、社会の倫理や多様性を守る面もあります。
しかしその一方で、「異なる意見を封じる」「芸術・表現の自由を狭める」という危険性も抱えています。
宝塚歌劇団の「海ゆかば」取りやめや、J.K.ローリングの発言炎上は、まさにその両義性を象徴する事例です。
私たち一人ひとりが、「批判」と「排除」の違いを理解し、冷静に意見を交わす社会を目指すことが、キャンセルカルチャー時代における最も重要な課題といえるでしょう。

