芸能人の私生活を巡る報道がたびたび話題になる中、2024年4月、女優・永野芽郁さんと俳優・田中圭さんに関する「不倫疑惑」と、それに関連するLINE流出報道が大きな波紋を呼んでいます。
週刊文春が公開したとされるLINEのやり取りは、芸能人のプライバシーをどこまで報じてよいのか、そして報道の名を借りた個人攻撃ではないのかという倫理的・法律的な問題を改めて浮き彫りにしています。
このブログでは、報道の経緯を時系列で整理しながら、「LINE流出」の是非や報道の公益性、またそれに対する弁護士たちの意見やSNS上の反応など、さまざまな視点からこの問題を掘り下げていきます。
不倫疑惑の経緯とLINE流出報道の内容まとめ
週刊文春が最初に報道したのは、田中圭さんが永野芽郁さんの自宅を深夜に訪れ、翌朝まで滞在したという内容でした。さらに、永野さんが共演中の韓国人俳優キム・ムジュンさんとも関係があるとされ、いわゆる「二股不倫」疑惑として報じられたのです。
この時点で、両者の所属事務所は不倫や交際の事実を否定。しかし、田中さんは取材に対して「飲みすぎて泊まってしまった」と回答し、完全否定とは言い切れない発言が注目されました。
そして5月に入ってから、週刊文春は続報として、永野さんと田中さんのものとされるLINEのやり取りの一部を公開します。内容は親密な関係をうかがわせるものでしたが、再び両者の事務所は「そのようなやりとりはしていない」と否定しました。
LINE流出は違法? 岡野タケシ弁護士の厳しい指摘
このLINEトークの公開について、弁護士で人気YouTuberの岡野タケシ氏は、自身のX(旧Twitter)で次のように強く批判しました。
「LINEトーク履歴の公開は、さすがにやりすぎ。報道の名を借りた公開リンチを見せられているようで、ただただ気分が悪い。」
さらに岡野氏は、「LINEトークを第三者が無断で抜き出して文春に横流しした場合、それはもはやリベンジポルノに近い」とまで述べ、その悪質性を指摘。芸能人の私的な会話を違法に取得し、それを報道として掲載する行為は、「スクープではなく暴力」だと強い言葉で批判しました。
「LINE流出」と報道の公益性 ──紀藤弁護士の見解
一方で、紀藤正樹弁護士は少し異なる視点を示しています。法律における「プライバシー侵害の3要件(私事性・秘匿性・非公知性)」を前提にした上で、週刊文春の報道については「厳密にはプライバシー侵害になる」としながらも、次のように続けます。
「芸能人であり、CM契約など企業との関係がある以上、報道には公益性がある」
企業とのCM契約では、「社会的に問題となる行動を取らない」ことが明示されることが多く、スポンサー企業や消費者が知るべき情報としての側面もある、というわけです。
さらに、LINEのやりとりに関しても、全部を公開したわけではなく、関係性の一部にとどまる範囲で「過度に広範」とまでは言えないと指摘。「芸能人として一定の私生活の報道は受忍しなければならない」という立場を示しています。
名誉毀損や損害賠償の可能性は?
もし週刊文春が掲載したLINE内容が虚偽であれば、名誉毀損で訴えることも可能です。しかし、現時点では永野さんも田中さんも法的手段に出る構えは見せていません。
その背景には、日本の裁判における賠償額の低さがあります。名誉毀損で勝訴しても300~500万円程度が相場で、仮にプライバシー侵害での損害賠償となれば100万円未満にとどまるケースも少なくないのです。さらに、裁判を起こせば新たに報道が広がるリスクもあり、芸能人にとっては“泣き寝入り”の構造があるとも言えるでしょう。
LINE流出報道へのSNSの反応
SNS上では、報道内容への違和感や、テレビ番組でこの話題が取り上げられないことへの不満も見られました。
*「広末涼子の時は連日取り上げていたのに、永野芽郁はなぜ沈黙?」
*「不倫を扱う報道の基準が芸能人の好感度で決まってない?」
一方で、今回の件をきっかけに、かつて炎上していた江頭2:50さんの行動について再評価する声も出てきました。「江頭さんのほうがよほど誠実」「永野のピュアキャラとは何だったのか」と、価値観の揺らぎが見て取れます。
「報道」と「暴露」の境界を私たちはどこに引くのか
今回の報道がもたらした最も重要な論点は、「報道の自由」と「個人のプライバシー権」がどこで衝突し、どのように調整されるべきかという点です。
永野さんと田中さんの行動が報道に値するかどうかは、メディア側の判断基準だけでなく、私たち読者・視聴者の「知る権利」によっても決まります。そして、プライバシーを守るべきか、それとも公益のために報道するべきか、その「線引き」は今なお揺れています。
文春の報道が「公益性のある報道」だったのか、それとも「暴露に過ぎなかった」のか。芸能報道のあり方を見直す機会として、今回の一件は決して小さな出来事ではなかったと言えるでしょう。